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コトタさんの教えて!春秋戦国 第6回

なた「前回、匆Δ都から逃亡し、

   召公虎や周定公or共伯和による政治が始まりました」

コトタ「共和の語源でしたね」

なた「ですね。

   今回はその共和時代以降を話していきましょう」

コトタ「はーい」

 

大旱魃

なた「と言っても共和時代にも大きなイベントはないんですがね。

   紀元前840年に召公虎が荊蛮を攻めただとか、

   鎬京の西辺りが玁狁(西北部の異民族)に侵攻を受けたり」

コトタ「やっぱり荒れてるんですね。

    基本的に対異民族みたいですが」

なた「その後はしばらく何もなくて、えっと……、

   紀元前832年〜828年まで5年連続で大旱魃があったぐらいです。

   一応各諸侯の代替わりについても記述がありますが」

コトタ「5年も旱魃が続いたら、農民が非常に困りますね……」

なた「困るのは農民だけではないですけどね。

   そして紀元前828年に匆Δ亡くなったことが伝わってきました」

コトタ「あ、まだ生きてたんですね」

なた「むしろ生きてたから共和が14年間も続いてたんですよ。

   というわけで、そうなれば必要なのが次の王です」

コトタ「共伯和が王を名乗るとか……?」

なた「ほら、召公虎の元にあの人がいるでしょう」

コトタ「ああ、太子の姫静!」

なた「ですです。

   紀元前827年、召公虎と周定公によって姫静が即位し、

   共伯和が政権を姫静に返還したのでした」

コトタ「そんな簡単に権力を手放せるんですか……?」

なた「徳が高い人だったみたいで、すぐに任地の共国に戻っています。

   そしてなんと政権が姫静に移ると大雨が降り出したとあります」

コトタ「期待できそうな新王ですね!

    ちなみに何王なんです?」

なた「宣王です。

   宣王中興と呼ばれる時代を築いた王でしてね」

コトタ「しばらく周は落ちぶれてましたものね……」

なた「ただ、別にそこまで良い王でもなくて……」

コトタ「えっ」

なた「今回の残りはそこらを話していきましょう」

 

中興?

なた「宣王が即位して最初にメスを入れたのが、

   共和はさておき匆時代に腐敗した政治です」

コトタ「都も国人の蜂起でボロボロになりましたしね……」

なた「政治の中心には召公虎と周定公を据え、

   他にも諸侯の有力者達を参画させ、宣王は忠言も諫言も聞き入れたのでした」

コトタ「良い王じゃないですか」

なた「ただ、徳によって治めていた当初とは違い、

   やっぱり武力制圧に頼っていて、異民族征伐は繰り返し行われています」

コトタ「周への不満がそんな簡単になくなるわけないですものね」

なた「ですねぇ……。

   さて、紀元前820年に魯武公が来朝しました。

   魯武公は長子の姫括と庶子の姫戯を連れてきていたのですが、

   宣王は姫戯を気に入って、魯の後継に指名したのでした」

コトタ「ふむ?それが何かあるんですか?」

なた「周では長子相続がルールとしてありましてね。

   孝王というイレギュラーもありますけど」

コトタ「ああ、なるほど」

なた「魯武公の先々代である魯献公の息子で仲山甫という宣王の臣下がいましてね。

   ルール違反をしようとした宣王を諫言します。

   簡単に言えば、王の命令を破れば誅滅されるし、

   周のルールを破っても誅滅しないといけない為、

   魯はどっちに進むこともできなくなりますよー!って感じでして」

コトタ「宣王は聞き入れて……?」

なた「ません」

コトタ「ええ……」

なた「といったイベントの直後に言うのも変ですが、

   宣王は政治の安定化に成功し、異民族平定もそれなりにでき、

   諸侯らも再び臣従した為、周の中興は成ったと言えます」

コトタ「さっきの魯の後継問題だけじゃ良い王じゃないと言えない気がするんですが」

なた「それが後継問題の影響は結構大きかったんです。

   紀元前807年に宣王によって魯公を継いだ姫戯が、

   伯御(姫括の子)に攻められて殺されました」

コトタ「あらら……」

なた「伯御は魯公を名乗ったのですが、時は流れて紀元前796年、

   周軍は魯を攻めて伯御を殺したのです」

コトタ「宣王の身勝手で魯がめちゃくちゃに……」

なた「というわけで臣下の推薦もあって、姫戯の弟の姫称が後継し、

   魯公となったのですが……」

コトタ「ですが……?」

なた「ほら、長子相続のルールを守らなかったばかりに、

   周公旦という最大の元勲が封じられた魯公が2連続で殺されちゃってるわけです。

   諸侯が"宣王が悪い!"って思うのは当然でしょう?」

コトタ「確かに……」

なた「それがきっかけで、また諸侯は周から離れていきました。

   紀元前789年に西戎を攻めて失敗したのですが、

   宣王自身すらが危機的状況に陥ったようで、

   その時は奄父(馬車自信ニキの6代孫)のお陰で何とか助かってます」

コトタ「つまり奄父は趙氏ですね」

なた「正解ー!

   で、その戦いに前後して連続で異民族平定に失敗しちゃったのもあって、

   宣王は兵士を大量に失いました」

コトタ「転がり始めると止まらないものですよね……」

なた「その為、宣王は料民(人口調査)を行うことにします。

   仲山甫が"いきなり人口調査なんてしたら民が不安に思うからダメです!"

   と諌めたんですが、宣王は無視しました」

コトタ「徴兵の為の人口調査ってことですね」

なた「ですです。

   仲山甫の言った通り民心は乱れてしまいます。

   さらに、とってもくだらない理由で重臣の杜伯を処刑したり、

   それを庇った友人の左儒も処刑したり、

   完全にダメな王の道を進んでいったのでした」

コトタ「耄碌したんでしょうかね……」

なた「それはあると思います。

   杜伯を処刑したのが紀元前782年で、宣王が即位して46年ですから、

   共和の14年と合わせても60年、つまり70歳は超えてたのでしょう」

コトタ「従心の歳なんですがね……」

なた「孔子はまだ生まれてませんから……。

   さて、そんな宣王が死にました」

コトタ「いきなり!?」

なた「ええ、杜伯や左儒を殺した年に亡くなってます。

   そして、後を継いだのが……」

コトタ「お?」

なた「西周最後の王なんですが、そこからは次回にしましょう!」

コトタ「わかりました。

    では次回をお楽しみに!!」

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