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コトタさんの教えて!春秋戦国 第1回

なた「さあ始まりました"教えて!春秋戦国"です」

コトタ「まずは春秋時代に入る前の西周のお話からでしたね」

なた「ですです。

   "教えて!封神演義"で武王が死んだ後からスタートします」

コトタ「ゴールは始皇帝の天下統一でしょうか?」

なた「一応はその予定……です。

   では本編へ行きましょう!」

 

周公旦

なた「武王が死に、太子だった姫誦が後を継いで王となりました。

   例の如く成王と呼称します」

コトタ「成王がまだ子供だったから、

    周公旦(武王の弟)が代わりに政治をしてたんでしたっけ?」

なた「ですね。

   それがきっかけで起こるのが最初のイベント、

   "教えて!封神演義"で少しだけ触れた三監の乱なんですが」

コトタ「武王の弟が起こした反乱ですね」

なた「管叔鮮、蔡叔度、霍叔処の3人が紂王の息子である武庚と共に乱を起こしたのです。

   言い分は"周公旦は王位簒奪を目論んでる!!"というもの」

コトタ「聞くまでもないことですが一応……、

    周公旦本人の気持ちは実際どうだったんです?」

なた「本人は太公望らにこう言ってます」

 

周公旦「天下に疑われても摂政を続けてるのは、

    周が天下に見限られるのではないかと恐れているからさ。

    そうなっては太公や王季、文王、武王に顔向けができん。

    幼い王に代わるのはその為である」

 

なた「そう言ったものの、疑われ過ぎた周公旦は鎬京(周の都)から離れました」

コトタ「口では何とでも言えますしね……」

なた「成王もそう思ったようでして」

コトタ「成王までもが周公旦を疑った?」

なた「ええ、疑いましたが、すぐ解決してます。

   こんなエピソードが武王の生前にありましてね」

コトタ「ほほう?」

なた「武王が病に倒れた折、周公旦は占いで自らを生贄に捧げてるんです。

   "王にはまだやらないといけないことがある"的な理由で。

   それによって翌日武王は快復したみたいでしてね」

コトタ「まだ若干神話チックなエピソードですね……」

なた「占いと政治が密接な関係にあるのは他の歴史でもたくさんありますし。

   話戻って、この生贄になる件について周公旦は他言無用とし、

   天に捧げる証拠として記録した書は箱に入れて密封したのでした」

コトタ「ふむふむ」

なた「その箱を成王が見つけて中身を読んだのです。

   "周公の想いがわからなかったなんて、私が未熟だった。

    私から出向いて周公を迎えなくてはならない"と言い、

   成王は自ら周公旦を都の外で出迎えたのでした」

コトタ「とりあえずは解決ですね」

なた「いえ、まだ何も解決してません。

   三監の乱が起こってますし」

コトタ「あ、そうでした!」

なた「というわけで、成王は周公旦に乱の平定を任せたのでした。

   そして周公旦は太公望に命じます。

   "今後、諸侯が反したらそなたが征伐するのだ!"と」

コトタ「太公望は斉に封じられていたんでしたっけ?」

なた「ですです。

   斉は他の"教えて!"シリーズでも登場してるのでわかる通り、

   東側の大きな国でしてね。

   この命令をきっかけに諸侯に対して大きな権限を得たと言えるでしょう」

コトタ「なるほど」

なた「で、三監ですが、何も解決してないと言いつつ、

   こちらもすぐに解決しています」

コトタ「あら、そうなんですね」

なた「官軍に敗れた武庚と管叔鮮は殺され、蔡叔度は流刑に処され、

   霍叔処は封邑を奪われて庶民に落とされています」

コトタ「罰の度合いに差がありますね」

なた「何ででしょうね。

   管叔鮮は文王の三男で、周公旦の兄にあたる人物ですし、

   三監の乱の首謀者だったのかもしれません」

コトタ「兄(武王)も弟(周公旦)も浮かばれませんね……」

なた「さて、武庚らがいなくなったことで殷の民をまとめるものが必要になりました。

   周公旦は紂王の兄の微子、そして武王の弟の康叔封にそれぞれ分割した殷民を任せ、

   前者は宋となり、後者は衛となっています」

コトタ「ほほー」

なた「時代を少し進めます。

   成王が即位して7年目で成人したので、周公旦が成王に政権を返還しました。

   これまで周公旦は実質王として群臣を従えていましたが、

   今後は他の群臣同様に北面して成王に仕えたのです」

コトタ「なかなかできないことですよね」

なた「権力は甘い汁ですしね……。

   さてさて、武王存命の頃、東に都を作ろうとしていました」

コトタ「そう言えば鎬京ってどこなんです?」

なた「他の時代で言うところの長安付近ですね。

   その為、鎬京は西都と呼ばれていました」

コトタ「武王が作ろうとしてたのは東都……、

    もしかして洛陽ですか?」

なた「正解!

   洛陽のちょっと西側みたいですけどね。

   成王は武王の遺志を継いで、東都となる洛邑の建設を始めたのです」

コトタ「なんでまた遷都を考えたのでしょうか?」

なた「遷都とは違うっぽいです。

   実際、建設が終わってから成王は西都で住まい、

   東都には周公旦がいましたから」

コトタ「え?」

 

周公旦「洛邑はちょうど天下の中心だ。

    東西南北の諸侯から見て同じ距離にある」

 

なた「というわけで、成王は諸侯と会う時は東都に出向いていたそうです。

   そのまま東都に住めばいいのに、とは思います」

コトタ「不思議ですねぇ……」

なた「で、成王に政権が渡されてからですが、

   周公旦と召公奭(武王の一族)が補佐として左右を固めていました。

   あと畢公高(武王の弟)もいて、その3人が三公(太師・太保・太傅)です」

コトタ「太公望は斉にいますしね」

なた「いえ、この頃には既に死んでいたみたいで」

コトタ「えっ!?!?!?」

なた「まあびっくりしますよねぇ……。

   ちなみに太公望の後は呂伋が継いでおり、丁公と呼ばれています」

コトタ「ちょっと残念です……」

なた「文王と出会った時点で結構な老齢でしたしね。

   で、太公望は斉にいるって話が出ましたが、

   周公旦がどこに封じられたか覚えてますか?」

コトタ「孔子の出身地、魯ですよね?」

なた「その通り。

   でも周公旦は魯にはいませんでした」

コトタ「確かにずっと都で政治してますもんね」

なた「封国の魯には息子の伯禽を送り込んでましてね。

   息子を魯に送る際の周公旦の言葉がとても素晴らしいのです」

コトタ「ほー」

 

周公旦「私は文王の息子で、武王の弟で、今の王の叔父である。

    だから天下に軽んじられることは決してない。

    しかし、人材が来たとわかれば、

    例えシャワーを浴びていたとしても3回は髪を束ね直し、

    食事中でも3回は食べ物を口から吐き出して対応する。

    そうまでしても天下の逸材を失うのではないかと恐れている。

    伯禽よ、魯に行ったとしても驕ってはならんぞ」

 

コトタ「正に黄帝以後孔子以前の最高の人士ですね」

なた「ですねぇ。

   では今回はここまでとしましょう」

コトタ「次回をお楽しみに!!」

 

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