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コトタさんの教えて!項羽と劉邦 第114回

なた「さて文帝編の続きではありますが、

   無事文帝が即位しましたので、今回からは"その後の漢王朝"

   というサブタイトルでハイライト形式で進めます」

コトタ「えっと今は紀元前何年です?」

なた「まだ紀元前180年のままですよ」

コトタ「あ、そうなんですね。

    呂雉の死前後はイベントまみれでしたものね」

なた「ですです。

   では本編始めましょう!!」

 

その後の漢王朝・その1

なた「まず前回の直後のお話です。

   東牟侯の劉興居って覚えてます?」

コトタ「劉肥の息子ですよね。

    膠着をぶち破ろうとした若き劉氏の1人として名前が挙がってましたが」

なた「その通り。

   と言ってもほとんど劉章の活躍しかなくて、

   劉興居自体は何もしてなかったんですが」

コトタ「裏で動いていたとかではなく?」

なた「ええ、何もしてないです。

   その証拠に劉興居は文帝にこう言っています。

   "私は呂氏誅滅で何も功績がありません。

    なので宮殿の掃除は私にさせてください"と」

コトタ「掃除!?」

なた「言い方を変えれば後始末ですね。

   劉興居は夏侯嬰と共に宮殿に入り後少帝に会います」

 

劉興居「お前は劉氏ではない」

夏侯嬰「そうだ。

    お前はそこにいるべきではない」

劉興居「近侍の者よ、武器を置いてこの場を去れ!」

近侍「ぐぬぬ……。

   陛下に何と無礼を!!!」

張釋「皆々、お辞めなさい。

   東牟侯と滕公(夏侯嬰)の言う通りにしなさい」

近侍「でも……!」

張釋「もう呂氏の天下は終わったのですよ」

近侍「かしこまりました……」

劉興居「さぁ、こちらへ来い」

後少帝「ち、朕をどこへ連れていくつもりだ!」

夏侯嬰「宮殿の外で暮らしてもらう」

 

なた「後少帝はとりあえず少府の家に遷されました。

   劉興居と夏侯嬰は代王の邸宅に戻り報告します。

   "宮殿の掃除が終わりました"と」

コトタ「ああ、そういう掃除ですか……」

なた「夜になってから文帝が宮殿へ向かいます。

   すると10人の門番が武器を持って守っていました。

   "ここは天子の宮殿だ!貴方は何をしに来たのだ!"

   と文帝らを中に入れようとしません」

コトタ「掃除終わってないじゃないですか……」

なた「周勃が門番に事情を説明すると、やっと納得して門番はその場を去りました。

   そして文帝が宮殿に入ったのです」

コトタ「これで正式に文帝が漢王朝の皇帝に君臨したってことですね」

なた「そうなります。

   文帝はその夜の間に宋昌を衛将軍に任じ、長安の南北軍を掌握させます。

   張武を郎中令に任じ、宮殿の守備や事務を管轄させました。

   また官吏らに命じて恵帝の息子を自称していた者達を殺しました」

コトタ「それって……」

なた「後少帝の劉弘、梁王の劉太、淮陽王の劉武、常山王の劉朝です。

   彼らは呂雉によって劉氏に偽装されていただけの人達ですから」

コトタ「公式でそういう扱いになったってことですか……」

なた「ですね。

   さて久しぶりに時代が進んで紀元前179年に入ります」

コトタ「この企画のスタートが221年ですから、

    もう42年分の歴史を見てきたんですか……」

なた「三国志だと黄巾の乱から曹丕の死までですね」

コトタ「ほええ……」

なた「歳首に文帝は高祖の廟に参謁し、人事を発令しています。

   太尉の周勃は右丞相に、右丞相の陳平は左丞相に、大将軍の灌嬰は太尉に任じ、

   それぞれ加増され、黄金も下賜されています。

   あと叔父の薄昭は車騎将軍になっていますね」

コトタ「あれ……?

    陳平が降格してません?」

なた「陳平自身が文帝にお願いしてるんですよ。

   "高祖の生きていた頃は確かに私の功績が周勃殿より上でした。

    しかし呂氏誅滅に関しては私は周勃殿に及びません。

    右丞相の位は周勃殿にお譲りしたく思います"って」

コトタ「ああ、なるほど」

なた「その他にも劉章や劉興居らも加増と黄金を下賜され、

   呂禄を騙した時にちょっとだけ登場した典客の劉揭

   も陽信侯に封じられています」

コトタ「ふむふむ。

    あ、思えば薄姫はどうなったのです?」

なた「代王太后の薄姫は長安に迎え入れられて皇太后になってますね。

   ちなみに呂雉は高祖の皇后なので、高皇后という諡号だったのですが、 

   後漢の始祖である光武帝の劉秀が呂雉から諡号を剥奪し、

   薄姫を高皇后と追尊しています」

コトタ「どういうことです?」

なた「劉秀、というか三国志の劉備も文帝の血筋を名乗ってるんですよ。

   だからその元となる薄姫を尊重したってことです」

コトタ「えっ」

なた「文帝というか、その息子の景帝(劉啓)の末裔って表現をしてますがね。

   景帝の末裔ということは文帝の末裔でもあるでしょう?」

コトタ「ああ、だから文帝は漢王朝でも特別な人ってことなんですね!

    そう言えば劉備は中山靖王劉勝の末裔だって言ってた記憶がありますが?」

なた「その劉勝の庶子である劉貞の子孫だと自称してますね。

   劉勝は子や孫が120人以上いるらしいので、

   劉備の出自の信憑性が微妙ってのが一般的なんですが……。

   あ、劉勝は景帝の9男、つまり文帝の孫なんです」

コトタ「なるほど、そういう繋がりでしたか」

なた「では話を戻しましょう」

コトタ「えーっと、呂氏誅滅の功労者を賞したってとこでしたね。

    一番の功績はやっぱり周勃?」

なた「そうですね。

   周勃だけ万戸の加増なので断トツの功績です。

   劉邦の遺言通りの結果だったってことです」

コトタ「"我ら劉氏の今後を安泰にしてくれるのは周勃に違いない"でしたね」

なた「ただ劉邦自らに期待され、評価もされていた周勃ですら

   権力を握って少しだけやらかしちゃってましてね」

コトタ「権力は人をダメにするーーーー!?」

なた「もうこのBlogのテーマになってきてますね、それ。

   まあ問題が起きる前に防止できてるので大丈夫なんですが」

コトタ「何があったんです?」

なた「功績第一ってこともあって宮中でも周勃は特別視されていました。

   それは文帝ですら同じだったのです。

   その為に周勃は態度が大きくなってましてね」

コトタ「ああ……」

なた「ある日、朝議が終わって周勃が退席しようとすると、

   いつもの様に文帝は周勃を目で送り出していました。

   本来、皇帝が臣下の退席を見守るなんてありえない話なんです。

   それを見た文帝の側近である袁盎が諌めて言いました」

コトタ「ほう……」

 

袁盎「陛下、よろしいですか?

   呂氏一族がクーデターを起こそうとしたので、

   諸侯や群臣は皆協力して呂氏を誅滅しました」

文帝「そうですね」

袁盎「丞相は当時太尉だったのですから、功績を得たのは当然のことであって、

   何も特別なことじゃないんですよ」

文帝「ふむ」

袁盎「丞相は驕った態度で陛下に接していらっしゃいますよね?

   逆に陛下は丞相に謙譲の態度を示していらっしゃいます。

   それは君臣の関係として間違っております。

   陛下が丞相にする態度を改めるべきでしょう」

文帝「わかりました。

   天子としての威厳を保つように努めましょう」

 

なた「それからは文帝は周勃への態度を改め、

   周勃もそれに気付いたのか、文帝へ畏敬の態度で接する様になったそうです」

コトタ「周勃が第二の呂雉になるかも知れなかったんですね……」

なた「そうなれば陳平が食い止めたでしょうけどね。

   さて皇帝になったら決めないといけないことが2つあります。

   コトタさん、わかりますか?」

コトタ「んー……?」

なた「ヒントは早く決定しなかった為に、

   皇帝死後に揉めた事例がいくつもあることです」

コトタ「あ、後継者!太子ですね!」

なた「正解!それと皇后ですね。

   つまりそれで外戚が決まるわけですが」

コトタ「えっと文帝の太子はさっき話してた景帝の劉啓ですよね?」

なた「はい。

   ただそれを決定するまでにも一悶着ありましてね。

   と言っても"他を太子にしたい"だとか劉邦や孫権みたいな内容じゃないんですが」

コトタ「ほう?」

なた「じゃあその時の会話を見てみましょう」

 

群臣「陛下、太子を決定してください」

文帝「私は徳がない君主でしょう。むしろ有徳者を見つければ、

   今すぐにでも天下を譲るべきだと考えているのに、

   それもせずに今太子を決定したら、さらに私の徳が減ってしまいますよ。

   太子の件はしばらく保留しましょう」

群臣「いいえ、立太子をするのは先祖と国家の為にございます」

文帝「ならば言わせてもらいますが、

   楚王も呉王も淮南王も皆私より皇帝に相応しいでしょう?

   彼らの側には有徳の功臣もいます。

   彼らに継がせようとせずに、また他の有徳者を探そうともせず、

   自分の子を後継者と決めてしまっては天下の誹りを受けてしまいます。

   私はやはり同意できません」

群臣「かつて殷と周は国を興し、どちらも1000年(長い期間)続きました。

   これ程までに長く天下を治めた国家は他にありません。

   それは自らの子孫に位を継ぐ道理を守ったからです。

   後継者として自分の子息を選ぶのは、遥か昔からの決まりなのですよ。

   高祖や諸侯だって同じ様にして、子を後継としたでしょう?

   陛下が正当な後継者を選ばず、他の諸侯から後継者を選ぼうとするのは、

   高祖の意志を捻じ曲げることになり、正しくありません」

文帝「そうですか……。

   では皆様は誰を太子にするべきとお考えです?」

群臣「長子の劉啓様は仁愛で温厚な方でいらっしゃいます。

   私達は謹んで彼を立太子することを願います」

文帝「わかりました。

   劉啓を太子としましょう」

 

コトタ「文帝って即位の時から思ってましたが、結構頑固な人なんですね」

なた「謙虚過ぎるのもあったんでしょうね。

   立太子後、皇后を立てることも群臣から請われてましてね。

   こちらは薄太后に相談して、劉啓の生母である竇氏を指名しています」

コトタ「あら、あっさり」

なた「もし文帝が違う夫人を皇后にしてしまうと、

   劉啓が皇帝になった時に皇太后との距離が出来てしまいますからね」

コトタ「それだけじゃなく後継者争いの火種にもなりますしね……。

    皇后としても自分の産んだ子を皇帝にしたいでしょうし」

なた「ですねぇ。

   竇氏が皇后となったタイミングで、

   竇少君という人物が突然名乗りを挙げました」

コトタ「誰……?」

なた「なんと幼い頃に誘拐されて、奴隷として売られて

   各地を転々としていた竇皇后の弟だったのです。

   竇少君は自分の生い立ちを全て上書し、

   竇皇后がそれを確認したところ間違いがなかった為、

   もう1人の弟の竇長君と共に長安で住むことになりました」

コトタ「つまり文帝にとって外戚になる2人ってことでしょうか」

なた「そういうことになりますね。

   周勃や灌嬰ら大臣が2人について相談しました。

   "今までは私達がいたから国を守ることができた。

    しかしこれからはあの2人がキーマンとなってくる。

    彼らは卑しい身の出身だから、しっかりと教育する人が必要だろう。

    そうしなければ呂氏の二の舞となってしまうだろう"と」

コトタ「薄氏は問題なくても、以降の外戚への警戒は必要ですよね……」

なた「元々2人の性格もあったでしょうけど、

   大臣が選出した品行方正な人物が2人と共に生活し、

   彼らは地位や立場に驕ることなく謙遜ができる立派な君子に成長したそうです」

ことた「ほっ……」

なた「コトタさんが安心したところで今回は終わりましょう」

コトタ「終わる理由がよくわかりませんがね!?

    それでは次回をお楽しみに!!」

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