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コトタさんの教えて!三国志 八王の乱編 第55回(最終回)

なた「最終回です!!!!」

コトタ「5回にまとめるはずが今回で55回目!!」

なた「想定の11倍って予測力が低すぎるのでは!?

   と反省しております……」

コトタ「確か最終章前ぐらいに残り10回ぐらいって言ってた気がするんです。

    そこから20回以上してますよね?」

なた「次回長期企画をする時は事前にまとめます……」

コトタ「そうしましょうね」

 

2つの趙

なた「前回、後日談にて劉曜と石勒が決裂しました」

コトタ「劉曜が石勒の使者を殺したことが原因でしたね」

なた「その後のお話を軽くしていきますね」

コトタ「お願いしまーす」

なた「まず劉曜は国号について臣下に建議しています。

   "劉淵は先祖の姻戚関係から漢王朝の弟と称して国号を漢とした。

    だが俺は匈奴の先祖を始祖として国号を改めようと考えている"と」

コトタ「あー、そういう経緯だったんですね」

なた「これに対して臣下は協議し、

   "陛下は最初中山王に封じられております。

    中山は趙の地であるので、国号は趙がいいでしょう"

   と上奏したのでした」

コトタ「これが1つ目の趙ですね」

なた「ええ。

   劉曜は上奏を受け入れて国号を趙と改めたのでした」

コトタ「ふむふむ」

なた「次に石勒ですが、甥の石虎や腹心を筆頭に100人の臣下が集まり、

   尊号を名乗ることを進言されています」

コトタ「皇帝になれ、ってことですね」

なた「ええ。

   謙譲の美徳なのか、本気でそう思ってたのかわかりませんが、

   何度も何度も断ってから臣下の強い勧めに応じて、

   石勒は趙王を称しています」

コトタ「そして2つ目の趙ですね」

なた「決裂した2人が同じ国号を称したというのも皮肉なものですよね」

コトタ「2つの趙が同時に存在したから、

    劉曜が前趙、石勒が後趙なんですね」

なた「そういうことです。

   前回までの後日談に倣って、それぞれの最期を軽く話しますと、

   前趙は329年に後趙に滅ぼされています」

コトタ「劉曜と石勒の因縁は石勒の勝利で終わった、と」

なた「ですね。

   劉曜と石勒がお互いに親征して直接対決もしてますからね」

コトタ「少年漫画のラストぐらい熱い展開な気がします!」

なた「前趙を滅ぼし、中原を完全に手中に収めた石勒は

   330年に皇帝に即位しています。

   中国史上、唯一奴隷から皇帝になった人物、それが石勒なのです」

コトタ「もしも三国時代に石勒が生まれていたら、

    歴史はどうなっていたのか気になりますね」

なた「魏はまだしも、呉蜀は誕生すらしていないかもですねぇ……」

コトタ「それで後趙はどうなったのです?」

なた「333年に石勒が崩御し、351年に冉閔に滅ぼされています」

コトタ「冉閔……」

なた「冉閔の父親は石虎の養子でしたが、そもそもは漢人だったのです。

   冉閔は漢人を虐げる後趙を倒し、漢人政権を打ち立て、

   魏を建国して皇帝になったのです。

   ちなみに他の魏と区別する為に冉魏と呼ばれています」

コトタ「この時代だとそれこそ前趙と後趙、成漢や前涼、あと前燕と同じですね。

    同じ国号の国と区別する為の便宜上の呼び方ってアレ」

なた「あ、冉魏はその前燕に滅ぼされています」

コトタ「ほええ……」

なた「ここまで来ると、もう三国時代の延長戦とも言えない

   完全な五胡十六国時代でしょう」

コトタ「なるほど」

なた「というわけで、おまけ程度に五胡十六国時代のお話をしますね」

コトタ「お!お願いします!」

 

五胡十六国時代へ

なた「五胡十六国時代ってのは匈奴、鮮卑、氐族、羯族、羌族

   の5つの異民族(五胡)が作った16の国が興亡した時代です。

   一応漢族が建てた国も含まれてますけどね」

コトタ「漢族ってことは東晋は含まれるのですか?」

なた「東晋は除かれますね。

   なので東晋以外のエリア、つまり華北と巴蜀に出来た国が対象です」

コトタ「ほほう……」

なた「五胡十六国時代と東晋時代はほぼ重なっていましてね。

   その為、東晋十六国時代という言葉もあります」

コトタ「東晋はいつ滅亡したのです?」

なた「403年に桓玄に禅譲して楚が興り一度滅亡してるのですが、

   3ヶ月後に劉裕により楚は滅亡しています」

コトタ「えっ」

なた「劉裕によって東晋は再興されましたが、

   420年にその劉裕に禅譲が行われ、宋が建国されています。

   それが南北朝時代の最初の南朝ですね」

コトタ「なるほど」

なた「ちなみにその劉裕に仕えてた武将が檀道済と言いまして、

   このブログでも特集している三十六計の著者です」

コトタ「あーーー!!」

なた「さて本題の16の国を列挙したいと思います」

コトタ「あ、それずっと気になってました」

なた「匈奴の前趙、氐族の成漢、漢族の前涼、羯族の後趙、

   鮮卑の前燕、氐族の前秦、羌族の後秦、鮮卑の後燕、

   鮮卑の西秦、氐族の後涼、鮮卑の南涼、鮮卑の南燕、

   漢族の西涼、匈奴の北涼、匈奴の大夏、漢族の北燕、」

コトタ「国号がかぶりまくってるんですね……」

なた「ええ。

   ただ16の国が同時に存在していたわけじゃないんですよ」

コトタ「あ、そうなんですね?」

なた「一応上のは国が興った順番に書いています。

   但し建国年は不明確(始祖が独立した年を事実上の建国年としていたり)

   なのもあるので、実際は前後したりもしますがね」

コトタ「漠然とで良いのですが、どの国が同時に存在したか教えてもらえますか?」

なた「前趙から前秦までの6国がまず前半ですね。

   前秦ができる前に滅びてるのもありますが……」

コトタ「前趙と成漢ですね」

なた「ですです。

   前秦が華北を統一し、383年に東晋を攻めるも大敗し、

   それがきっかけに瓦解し、後燕に滅ぼされてからが後半戦です」

コトタ「後半は残り10国ってことですか?」

なた「ですね。

   後秦から北燕までが後半と言えます。

   前秦が東晋に敗れた直後から大半が10数年以内に興った国です」

コトタ「あれ?冉魏はどこです?」

なた「五胡十六国の16国には含まれてないですね。

   それこそ何度も登場した拓跋猗盧の作った代も

   滅びたのは376年ですが含まれていません」

コトタ「あ、本当だ」

なた「他にも数国が含まれてませんがね。

   さて先程、宋が南北朝時代の南朝と話しましたが、

   北朝は何だと思います?」

コトタ「んーー?」

なた「正解は鮮卑族が作った北魏という国でしてね」

コトタ「16国の中からではないんですね」

なた「ええ。

   北魏の初代皇帝は386年に最初代王を名乗って自立してまして、

   本名は拓跋珪と言います」

コトタ「まさか!?」

なた「そのまさかです。

   拓跋猗盧の甥の拓跋鬱律の曽孫です」

コトタ「おおおおお!?」

なた「その拓跋珪の孫である北魏3代皇帝の拓跋が

   439年に北涼を滅ぼして華北を統一しているのです」

コトタ「それが南北朝時代の北朝……!」

なた「ええ。

   余談ですが、拓跋猗盧は拓跋珪に穆帝を追尊されています」

コトタ「拓跋猗盧は死後皇帝になったってことですね……」

なた「他の勢力に比べてもかなり弱小勢力だった代の子孫が、

   後に北朝として天下を二分してるってのもロマンありますよね」

コトタ「最後にこの話をする為に拓跋猗盧の話を多めだったり、

    第50回に持っていった……?」

なた「後者は少し意識はしましたね。

   登場が多めだったのは西晋滅亡期を語る上で外せない存在だからってだけですがね!」

コトタ「ふむぅ」

なた「いつか五胡十六国編をすることがあれば、

   詳しく語りたいと思いますので、五胡十六国時代についてはここまで!」

コトタ「はーい」

 

終わりに

なた「280年に呉は降伏し、西晋が天下統一を果たしましたが、

   そこから僅か36年後に西晋は滅亡しております」

コトタ「主な要因は八王の乱と永嘉の乱でしたね」

なた「西晋が滅んでからは五胡十六国、南北朝という分裂期を経て、

   次に天下統一が果たされたのは589年です」

コトタ「隋ですね」

なた「ええ。

   その隋も618年に唐に代わってるんですがね」

コトタ「戦乱の世はずっと続くんですねぇ……」

なた「しかしこの企画は今回で終わりです!!」

コトタ「そうだった!!」

なた「というわけで、八王の乱編閉幕!!」

コトタ「お疲れ様でしたーーー!!!」

 

コトタさんの教えて!三国志 八王の乱編 完

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