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コトタさんの教えて!三国志 八王の乱編 第52回

コトタ「前回の終わり方はなんですか!!!!」

なた「そもそも西晋滅亡後のちょっと先まで話すって

   言ってたと思うんですよ!!!」

コトタ「そうでしたっけ……?」

なた「多分……」

コトタ「うーん……」

なた「と言ってもあと4回で終わりですから!」

コトタ「最後ですし、信じましょう……」

 

西晋勢力の後日談

なた「後日談はハイライトをぱぱぱっと紹介していきます。

   名前が出た登場人物の(西晋滅亡)後日談ですが、

   時系列は前後してバラバラになりますのでご注意を」

コトタ「はーい」

なた「まず前回最後の流れからそのまま316年11月です。

   降伏した司馬業と晋の家臣団は平陽(漢の首都)に移送されましてね。

   バカ殿に謁見した司馬業は叩頭し、麴允は伏せて泣き続けました。

   すると"立ち上がれ!"と命じられても泣き続けていたので、

   バカ殿の逆鱗に触れてしまい、麴允は逮捕され、その後自殺しています」

コトタ「ええ……」

なた「一応麴允は忠義を讃えられて車騎将軍を追贈されてますがね。

   その車騎将軍位を求めて息子を殺された索綝は不忠の罪で処刑されています」

コトタ「ああ、そういう結果に……」

なた「次に西晋のラストエンペラーである司馬業です。

   317年10月にバカ殿が遊猟に出たのですが、その時司馬業は車騎将軍に任じられ、

   軍服を着させられ武器を持って先導役になり、見世物にさせられています」

コトタ「司馬熾とほとんど変わらない……」

なた「ええ、似たような最期を迎えてます。

   12月になると宴が開かれたのですが、そこで酒を注がせたり、洗い物をさせたり、

   バカ殿がトイレに行った時は蓋を開けさせたそうです。

   その姿を見て元晋の家臣団が大泣きしています」

コトタ「あっ……」

なた「その頃、司馬業を奪還を大義名分に掲げた反漢勢力がいたのもあって、

   バカ殿はそれが不快で堪りませんでした。

   するとバカ息子(劉粲)が"司馬業が死ねば希望もなくなりますよ"と言い、

   "そうだな"と応じて処刑されました」

コトタ「司馬熾にしても司馬業にしても可哀想ですね……」

なた「この流れで今度は司馬睿です。

   317年3月に華北から逃げてきた宋哲という人が建康に到着しました。

   宋哲は"陛下からの詔です!"と司馬睿に天下を治めることを命じました。

   臣下は司馬睿の皇帝即位を求めますが拒否しております」

コトタ「謙譲の美徳?」

なた「でしょうかね。

   "そんなに言うなら瑯琊(司馬睿の封国)に帰るぞ!"と言うと、

   それならばと曹操や司馬昭同様に先に王を名乗ることを勧められ、   

   晋王を称すことになったのでした」

コトタ「ふむふむ」

なた「これが東晋の建国とされています。

   司馬睿は司馬昭の弟である司馬伷の孫ですが、

   先日話した通り牛金の子の可能性がある人です」

コトタ「ああああああああ!それだ!!!!

    司馬睿が初登場の時から気になってましたが!!!!」

なた「回収済みのものを伏線っぽく見せて再度回収しただけなんですがね。

   えっと司馬睿は司馬業が処刑されたことを知ると、

   318年3月に皇帝に即位しています」

コトタ「思えばこの企画ではたまにしか司馬睿勢力が登場してませんでしたよね」

なた「いつか東晋や五胡十六国の企画をした時の為ですね。

   王導だとか色々先日少し触れた周訪や王敦やら語ることはたくさんありますしね」

コトタ「なるほど」

なた「次にこの企画中ほぼずっと并州を守り続けた劉琨ですが、

   遂に石勒に敗れて并州を完全に失陥しています」

コトタ「代からの帰順兵で盛り返したのに……」

なた「劉琨は段部(鮮卑族の一族)へ逃走し、ボスの段匹磾を頼っています。

   実は劉琨と段匹磾は昔から仲が良くてですね。

   共に晋を輔けることを話し合い、義兄弟にもなっています」

コトタ「新しい劉琨の盟友……!」

なた「東晋を興した司馬睿を補佐することを誓って行動しているのですが、

   色々あって318年5月に劉琨は段匹磾に殺されています」

コトタ「えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?!?!?」

なた「そこまでの色々は別の企画があった時にでも語りましょう」

コトタ「こういう時はちゃんと語ってくださいよぉ!!!」

なた「あとは西晋側の勢力ですと……前涼ですかね」

コトタ「実際、西晋最大の忠臣でしたよね、張軌」

なた「ですね。

   後を継いだ張寔は司馬業が死んだことを知ると、

   司馬睿を推戴するようにと全国に檄文を送っています。

   しかし元号は西晋のものを使い続けています」

コトタ「あれ……?」

なた「独立の意思表示だったと考えられてますね。

   ただ前涼って376年に滅びるまで一度も完全な独立はしてないんですよ」

コトタ「えっ!?」

なた「常にどこかの国に従属しているような状態だったのでね。

   前涼で思い出しましたが、最後は司馬保です」

コトタ「司馬業を助けなかった皇族ですかね……」

なた「司馬保は司馬業が降伏してから帝位に上る気満々でしたが、

   先に司馬睿が皇帝になったことでチャンスを逃しています。

   その為、司馬睿には従わず319年4月に晋王を自称しております」

コトタ「八王の乱の反省を何故していないのか……」

なた「司馬氏だからでしょうね。

   ちなみに改元もしてまして、元号は"建康"」

コトタ「建康って東晋の首都の名前と同じでは……?」

なた「そうなんですよね。理由はわかりませんが……。

   さて320年になってから劉曜に攻められた司馬保は前涼に逃れようとしていますが、

   張寔に"司馬保がこっちに来たら人心が移ってしまう!"と妨害されてしまいます」

コトタ「張寔が晋皇族を裏切ってる……?」

なた「色々思惑もあったんでしょうね。

   司馬保は部下と元部下の対立に巻き込まれるような形で、

   部下に幽閉された後に殺害されています」

コトタ「この時代に幽閉された司馬氏は一体何人いるのか……」

なた「たっくさんいるでしょうね。

   えーっと……西晋勢力はこれぐらいですかね?」

コトタ「前回までに生き残っていた主要人物は網羅したと思います」

なた「では今回は以上ですね!

   次回は異民族(その他)の後日談です!!」

コトタ「はい!!!

    次回の教えて!三国志をお楽しみに!!!」

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