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コトタさんの教えて!三国志 八王の乱編 第48回

なた「前回の後半は荊州のお話ばかりでしたので、

   今回は華北に話を戻して、きっちり歴史を進めます」

コトタ「はーい」

なた「では早速ですが見ていきましょう!」

 

西晋の滅亡・その9

なた「315年9月に劉聡が石勒に特権を与えています」

コトタ「そんなことしたら石勒の勢力がさらに大きくなるのでは……」

なた「裏切られるよりはマシでしょうから、飴を与えたのでしょうね。

   この特権により皇帝(この場合、劉聡)の代わりに軍事行動の決定、

   将軍や州刺史、それに郡県の長(太守や県令及び県長)の任命、

   さらには列侯を封じることまで石勒の自由にさせたのです」

コトタ「権限が大きすぎるのでは……」

なた「一応1年に1回報告義務はありましたけどね」

コトタ「それだけ石勒を恐れていたんですね……」

なた「でしょうね。

   10月になると劉曜が北地郡を攻めています。

   防衛を任せられたのが索綝同様にこれまで何度も登場してたのに

   名前が出ていなかった麴允です」

コトタ「そういう人結構いっぱいいますよね。

    将軍、腹心、側近、部下って濁してた人達」

なた「人名が多すぎると混乱するだけですからね」

コトタ「以前も言ってましたが、司馬まみれも十分混乱しましたよ!」

なた「そこはしょうがない……。

   えっと麴允は大都督に任じられて出陣しましたが、

   劉曜、というか漢軍の勢いを恐れて途中から進軍ができませんでした」

コトタ「劉曜になら勝てそう……。

    というか大都督になるってことはこれまでも相当功績があったんですね」

なた「ええ。

   以前話したような気がしますが、この頃西晋には丞相が2人いましてね」

コトタ「えっと司馬睿と……」

なた「司馬保(司馬模の息子)です。

   その司馬保は秦州(三国時代にはない雍涼梁州の一部から構成された州)にいたのですが、

   司馬業から漢軍迎撃の為、何度も出兵の要請を受けています」

コトタ「当然出兵してますよね?」

なた「司馬保の臣下らは口々にこう言います。

   "人は毒蛇に腕を噛まれたら腕を斬り落とします。

    漢軍の攻撃が激しい今は道路を封鎖して情勢を見守るべきでしょう!"と」

コトタ「つまり長安は腕でしかない、と……?」

なた「ここで1人の臣下が前に出て怒鳴ったのです!

   "貴様らは毒蛇が頭を噛んだら、首を斬って逃げるというのか!!!"と」

コトタ「そうですよ!

    西晋の皇帝がいるのですから、長安は頭ですよ!!」

なた「この言葉で司馬保は出兵を決意し、救援軍を派遣しています。

   しかしその頃、漢軍が長安へ迫ってきた為、

   麴允は司馬業を連れて司馬保を頼ることを考えました」

コトタ「司馬睿じゃ遠すぎますしね……」

なた「索綝が"司馬保が陛下を手に入れれば私欲で利用するぞ!"

   と反対したので、沙汰止みになっています」

コトタ「あら……」

なた「その為司馬業は長安に留まったのですが、

   これ以降、長安より西の土地、つまり関中では朝廷の指示を聞かず、

   皆、司馬保の命令で動くようになったのです」

コトタ「何でそうなっちゃうの!?」

なた「さあ……?

   これにより長安は食糧の供給がほぼ途絶えてしまい、

   司馬業を含めて困窮することになったのです」

コトタ「皇帝って……一体……」

なた「さて316年に入ります」

コトタ「つまり……!?」

なた「本当の最終章ですね!!!

   まあ今回で完結するわけではないですがね」

コトタ「ですよねー」

なた「年が明けてすぐ西晋で"今そんなこと話してる場合か"という出来事が起きています」

コトタ「漢軍が攻め立ててるんですものね」

なた「"陛下の父上に帝号を追尊しましょう!"という話なんですが」

コトタ「……?」

なた「司馬業の父親は呉王の司馬晏(司馬衷の弟)です。

   つまり彼は皇帝になっていません」

コトタ「先代は従兄の司馬熾ですし、先々代は伯父の司馬衷ですものね」

なた「はい。

   三国志で例を挙げると、呉の最後の皇帝孫皓は

   自分の父親である孫和に対して帝号を追尊しています」

コトタ「儒教的考えでいけば間違ってはいないですね。

    本当、今話すことではないでしょうけど」

なた「これには索綝が反対しております」

コトタ「相当な根拠がないと反対するのは不敬なのでは……」

なた「魏の2代皇帝である曹叡(曹丕の息子)が詔を出しているのです。

   "分家が皇帝になっても父親に帝号を諡るの禁止!!"とね」

コトタ「今はもう魏じゃないですけど……」

なた「というわけで司馬晏は孝王と諡されています」

コトタ「あくまで王号で留めたんですね」

なた「権力のより強い索綝の意見を優先させたんでしょうかね。

   この時反対したのが索綝以外にもいたみたいなのですが、

   魏の頃の風潮を受け継いでいたのもあって

   "(分家の帝号追尊は)ダメなこと"だと思ったのかもですね」

コトタ「なるほど」

なた「では本日はここまでとします」

コトタ「はい!

    次回をお楽しみに!!」

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