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コトタさんの教えて!三国志 マイナー武将編 第8回 諸葛靚

基本データ

名前 諸葛靚(仲思)

生没 ?〜?

出身 徐州瑯琊郡

正史 本人の伝は無し

親類 諸葛誕(父)、諸葛恢(子)

 

コトタ「諸葛誕の息子ですね」

なた「ええ。

   諸葛誕の回でも登場させたような気がします」

コトタ「確か晋に降伏した後、司馬炎と幼馴染なのもあって大司馬に任命されたけども、

    父を殺した司馬氏を許せずに辞退したんでしたね」

なた「その通りです。

   諸葛誕の末子だそうですが、字が仲思ってこともあるので、

   2人兄弟(姉がいるのであくまで男子が2人)だったのでしょう」

コトタ「ふむふむ」

なた「諸葛誕の乱に際して呉に救援を求めに向かい、人質として呉に残ったのですが、

   そのまま呉に仕官しています」

コトタ「活躍はしたのですか?」

なた「呉が滅びる時点で諸葛靚は大司馬でした」

コトタ「確実に活躍してますね……」

なた「また孝行息子の見本として、後世でも非常に高く評価されている人物です。

   諸葛亮、諸葛瑾、諸葛誕がそれぞれ同時代の諸葛氏として比較されてまして、

   諸葛誕はなんだかんだで3番手と評価されることが多いのですが、

   息子達世代ならば間違いなく諸葛靚が一番評価が高いでしょうね。

   才覚であれば諸葛恪(諸葛瑾の息子)も十分でしょうけど、諸葛瞻(諸葛亮の息子)では遠く及びません」

コトタ「諸葛誕が司馬昭に殺されていなければ、西晋の大司馬として君臨してたんでしょうね」

なた「大司馬か大将軍か、いずれにせよ重要な立場になっていたでしょう。

   ちなみに息子の諸葛恢(つまり諸葛誕の孫)は

   東晋の尚書令(上奏を管理する役のトップ)にまで上り詰めてます」

コトタ「そちらは司馬氏の元で功績を挙げていたんですねぇ」

なた「諸葛亮、諸葛瑾、諸葛誕が三国それぞれで高い地位にあった、ってのも凄いのですが、

   諸葛誕の直系は親子3代が続いてそれぞれ別の国で高位に上ったわけですし、

   もっと凄いなって思います」

コトタ「同じ国なら親から世襲で権威やらを受け継ぐことも可能でしょうけど、

    違う国だとそうはいきませんものね。

    敵国の宰相と同じ一族ってこともあり若い頃不遇だった諸葛誕、

    あくまで人質だった諸葛靚、祖父の仇である司馬氏に仕えた諸葛恢」

なた「ええ。

   諸葛誕サーガは作品としても面白そうなので、誰か書いてくれたらいいんですけどね!

   知名度が低い三国志後期とごちゃごちゃしてわかりづらい五胡十六国時代あたりをカバーできますし」

コトタ「とても興味があります」

なた「というわけで諸葛靚についてはここら辺で」

コトタ「では次回をお楽しみにーー!!」

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