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コトタさんの教えて!三国志 無双武将編 第88回 呂布

基本データ

名前 呂布(奉先)

生没 ?〜199

出身 并州五原郡

正史 7巻 呂布臧洪伝

親類 呂玲綺(娘)、董卓(義父)

 

なた「遂にやってきました呂布の回です!」

コトタ「無双と言えば、って人ですね」

なた「ちなみに正史において関羽の部下に呂布という同名の人物がいたりしますが、

   その人の話は一切しません!!!」

コトタ「言われなきゃ誰も知りませんよ……」

なた「夏侯惇伝にしっかり"呂布軍を撃破した"って記録があるんですよ!

   関羽が曹仁らと樊城で戦っている頃にね!」

コトタ「ちゃっかりその人の話してるじゃないですか……」

なた「ちなみにその別人の呂布は正史本文だけだとそこにしか名前がないです」

コトタ「本題始めましょう?」

なた「ですね。

   呂布は後漢書にも三国志にも記述がある人物で、

   結構内容がごっちゃごちゃしています」

コトタ「まあ三国時代の人物というよりは、

    後漢末期の人物と言うべきでしょうしね」

なた「そんな呂布が最初に仕えたのが丁原です。

   演義では丁原の養子になってますが、史実ではそんな記述はありません。

   そこでは会計係をやっていて"大変信愛された"とあります」

コトタ「会計係をやる呂布……。

    全くもって想像つきませんね」

なた「一応弓馬の腕を買われてはいるので、

   そっちがメインではなかったでしょうけどね。

   で、次に呂布が仕えたのが董卓です」

コトタ「董卓が丁原の勢力を手中に収める為に、呂布を唆したんでしたっけ?」

なた「そういうことになりますね。

   董卓は"目をかけて信頼し、親子の契りを結んだ"とあり、

   こっちの養子縁組は史実です」

コトタ「ふむふむ」

なた「ちなみに演義で張飛から"三姓家奴"と罵られていますが、

   これは呂布は元々呂家の子なのに、丁原の養子になり、

   董卓の養子になったってことを皮肉っていましてね」

コトタ「ドラマのThree Kingdomsでは"三つの家の奴隷!"って言ってましたね」

なた「ですです。

   まあ先程も申し上げた通り、史実では丁原とは養子縁組してないので、

   これはフィクションです」

コトタ「演義では王允の娘である貂蝉と結婚しようとしてますよね」

なた「ええ。

   なので演義だと王允は呂布にとって義理の父親になる存在でして、

   さすがにそこを批判すると既婚者の大半が当てはまっちゃうのでね。

   だとしても短期間に4人の父ができた稀有な存在です(フィクションだが)」

コトタ「そして董卓暗殺事件」

なた「自分を寵愛してくれた主君を2人連続で弑逆したわけです。

   次に仕えた、というか同盟者というべきでしょうか。

   それがさっきの王允ですね」

コトタ「王允は何で呂布を誘ったのでしょう?

    董卓の養子なんて危なくて誘えないのでは?

    ばれる可能性も高いでしょうし」

なた「貂蝉の回で解説したような気がしますが、

   "董卓の怒りを買った"ってタイミングだったようです。

   それと一番重要なのは王允が并州出身ってことでしょうね」

コトタ「ああ同郷なんですね」

なた「同郷の先輩が誘ってきたから、

   タイミングも良かったしと計画に乗ったのでしょう」

コトタ「でもそんなに同郷って大事ですか?」

なた「例えば袁紹軍だと豫州閥と冀州閥ってのがありましてね。

   実際、後継者争いや実権争いってのは紐解いて行くと、

   綺麗に出身地で分かれてたりするんですよ」

コトタ「そんなものなんですねぇ」

なた「董卓暗殺後の朝廷周辺の勢力争いだと、

   李傕と郭椶涼州閥、王允と呂布が并州閥ってことになりますね。

   まあご存知の通りこの争いに呂布は敗れて、

   根無し草として各地を渡り歩くことになります」

コトタ「劉備のいる徐州に行ったんでしたっけ?」

なた「先に袁術、袁紹、張楊、張邈ですね。

   仕えたというより頼ったって感じですけども」

コトタ「本当に渡り歩いていますね……」

なた「呂布が主君を2人殺したのも、これだけ各地を渡り歩いたのも、

   并州出身だからしょうがないってのはあるかと思います」

コトタ「えーっと?」

なた「并州って北方で騎馬民族の多い地域なんですよ。

   つまり比較的儒教の文化が薄いんです。

   だから主君や父親がそれ程重要ではなかったのでしょう。

   呂布自身が騎馬民族ではないでしょうけどね。   

   あと騎馬民族ってことは遊牧民なんですよね。

   要するに農耕民族の様に領土を持ち、定住して

   その土地を豊かにするって考えが前提にないんです」

コトタ「あ、なんとなく気持ちはわかります(アジムステップ出身)」

なた「途中で頼った袁紹に見限られたのも、

   武功はしっかり挙げるけども、略奪を繰り返してたからって理由がありましてね。

   その土地で奪える物がなくなったら次に行けばいいって発想もあったのでしょう」

コトタ「まさに根無し草ですね……」

なた「その後の呂布は劉備、曹操、袁術が絡んだ

   徐州争奪スマッシュブラザーズで敗北し、曹操に処刑されました」

コトタ「スマブラなら呂布が1位になりそうですがね……」

なた「確かに。

   でも呂布の個人武勇についての記述はあるにはあるのですが、

   そこまで多いわけではありません。

   そっちよりも騎馬軍を率いる武将として最強でしてね」

コトタ「許褚の回で仰ってましたね」

なた「でしたっけ。

   この時代の戦争は基本的に個人の戦いであって、

   集団同士の戦いではありませんでした」

コトタ「一騎打ちってことですか?」

なた「武将は武将と、兵士は兵士と戦うので、

   武将同士だけをフォーカスすれば一騎打ちなのかもしれませんが、

   そういうことではないですね」

コトタ「ふむ……?」

なた「要するにヤンキー漫画の集団戦みたいな感じです。

   うおーーー!わーーー!って叫びながら走り込んでいって、

   ひとりがひとりと戦うんです。

   3人が連携してひとりを倒すんじゃなくて」

コトタ「あー!

    クローズの映画で脳内再生されました」

なた「もちろん数に差があれば3対1になることはあるでしょうけど、

   戦い方はあくまで"対1"なんです。

   "こちらが3である"という戦い方をしていなかったってことです」

コトタ「理解しました」

なた「しかし呂布や騎馬民族出身者ってのはそこが違うんです。

   集団での戦闘の方法を知っていたんです。
   だから呂布は強かったのです。

   後のモンゴル軍の強さってのはそこに根本がありますね。

   それ以外でも歴史的に北方異民族に漢人がボロボロにされ続けているのは、

   そこが大きかったのです」

コトタ「10人が固まって作戦通りに動いてたら、

    バラバラの10人は蹴散らされるだけですものね」

なた「仰る通りです。

   騎馬民族出身者じゃなくても用兵に長けた将軍は、

   そこらへんをしっかり理解して戦ってたでしょうけどね」

コトタ「曹操とかですかね」

なた「孫子に註釈つけてるぐらいですし、恐らく。

   孫子は戦場における直接的な用兵とは毛色が違うのですがね」

コトタ「ふむ」

なた「というわけで呂布についてはここまでです」

コトタ「呂布の強さの秘密がよくわかりました!

    次回また会いましょう!!」

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