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コトタさんの教えて!三国志 無双武将編 第87回 楽進

基本データ

名前 楽進(文謙)

生没 ?〜218

出身 兗州陽平郡

正史 17巻 張楽于張徐伝

親類 楽綝(子)

 

なた「前回、5本指に次ぐ6本目候補として張郃を挙げたばかりですが、

   さらにもうひとりの6本目候補である楽進です」

コトタ「最初から10本指ぐらいにすれば良かったのでは……」

なた「た、確かに……。

   早速本題に行きますが、実は楽進も劉備に恐れられてましてね」

コトタ「張郃だけじゃなかったんですね。

    でも理由は?」

なた「関羽に勝っているからです」

コトタ「それは恐れますね……」

なた「しかも記録だけ見るならば2度は破っています。

   楽進と関羽が駐屯していた場所と時期を考えれば、

   もっと戦っている可能性もありますがね」

コトタ「でも関羽が楽進に勝ってる記録は……」

なた「ないです。

   あとその関羽を破った時だけ名前が出ている人物の蘇非なんですが、

   恐らく蘇飛のことです」

コトタ「えーっと……?」

なた「黄祖配下で、甘寧の恩人みたいな人ですね。

   黄祖が孫権に敗れた後、甘寧は蘇飛の助命を嘆願しているぐらいです」

コトタ「お互いに恩人なんですね」

なた「ええ。

   そんな蘇飛(記述では蘇非だが)も楽進に敗れているんですよ。

   記述は全くないので推測でしかありませんが、

   順当にいけば蘇飛は甘寧の部隊に所属していたことでしょう」

コトタ「つまり楽進は、関羽と甘寧に勝っている……!?」

なた「そういうことになりますよね。

   以前少し触れた弁亡論では張昭や都督リレー4人に次いで甘寧は5番目の扱いです」

コトタ「劉備にとっても、孫権にとっても、

    トップの将軍だった者が楽進に勝てないってことですね」

なた「まあ甘寧については推測でしかないですがね。

   関羽に勝ったのは歴然たる事実ですし、

   間違いなく筆頭将軍だったという根拠もあります」

コトタ「えーと夏侯惇ではなく?」

なた「曹操勢力という範囲であれば、夏侯惇が筆頭でしょう。

   後漢がある中で、曹操は魏王となっていますので、

   諸侯国として当然魏王国もあったわけです。

   夏侯惇は魏の臣下ではなく、あくまで後漢の臣下と扱われていました」

コトタ「あくまで曹操と対等な同僚と扱われていたんでしたっけ」

なた「ですね。

   夏侯惇当人は"それは失礼だから魏の官位をください"と何度も懇願していて、

   219年にやっと魏の前将軍となっていますがね。

   話を戻しまして、楽進は215年に魏の右将軍に任じられています」

コトタ「夏侯惇より先に……」

なた「于禁も同時に左将軍になっているので、

   この2人が魏王国の筆頭だと言えるわけです」

コトタ「では張遼は?」

なた「張遼は後漢の征東将軍ですね。

   ちなみに曹仁は後漢の征南将軍、夏侯淵は後漢の征西将軍です。

   四方将軍は魏"王朝"の時代だと四征将軍より下でしたが、

   後漢においては四方将軍が上でした。

   というか名誉や儀式的な意味合いも強かったので、

   四方将軍は上下がよく動くんですけどね」

コトタ「や、ややこしい!」

なた「張遼は後に、征東将軍から魏の前将軍に"昇進"しています。

   つまり楽進や于禁は曹操にとって夏侯惇を除けば最高の将軍だったというわけです」

コトタ「なんとなく、わかりました」

なた「演義では于禁や李典と共に引き立て役でしかない雑魚武将ですし、

   無双においてもプレイアブル化したのが7と大変遅かったですが、

   史実の記録だけ見ても最高クラスの名将だったのです」

コトタ「記録だけ見ても?」

なた「陳寿自身が楽進と張郃について"記録漏れがあったのだろう"と述べています。

   それでも楽進は17巻 張楽于張徐伝において2番目に位置しています。

   つまり漏れがなければ17巻は楽張于張徐伝となっていたかもですね」

コトタ「この企画で"実は凄い"って武将をたくさん見てきましたが、

    楽進はその中でも凄い感じがします……」

なた「企画の終盤(全94回です)に張郃、楽進を残していたのはそういう理由もありました」

コトタ(多分、順番テキトーにやってる中で残ってしまっただけだな……)

なた「では今回はここでお終いです」

コトタ「次回の教えて!三国志をお楽しみに!」

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