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コトタさんの教えて!三国志 無双武将編 第54回 李典

基本データ

名前 李典(曼成)

生没 ?〜?

出身 兗州山陽郡

正史 18巻 二李臧文呂許典二龐閻伝

親類 李乾(従父)、李整(従兄)

 

コトタ「李典ですか。

    無双だと初期からモブ武将で楽進とセットで出てるイメージありますね」

なた「他の創作作品でもセットにされやすいですね。

   恐らく合肥が原因なのでしょうけど」

コトタ「ですね。

    無双7で楽進と共にプレイアブル化してますし、

    さらにセットのイメージが進んだ気もします」

なた「ええ。

   ここで少し余談です」

コトタ「いきなり余談ですか」

なた「李典だけに限った話ではないのですが、

   この企画では基本データに著名(主観)な親類を書いています。

   そして父や伯父と明確に書くこともあれば、

   族父や、今回の李乾のように従父と書くこともあります」

コトタ「族父は自分より1世代上の男性でしたね」

なた「従父は恐らくいとこおじ(父母の従兄弟)のことなんですが、

   意味合いとしては族父でも間違いではないです。

   ただ正史にも従父と記述があるので、今回はそっちで採用しています」

コトタ「なるほど。

    ここまで説明したってことは李乾さんは今回結構絡んでくるんですね」

なた「いいえ、少ししか絡みません」

コトタ「本当に余談だった……」

なた「李典は冒頭にもコトタさんが仰った通り、

   モブ武将の代表格って感じですが、史実ではそんなことありません」

コトタ「毎度のパターンでしょうか」

なた「ですかね。

   正史17巻が魏の五将軍と呼ばれるメンツが並んでおりまして、

   18巻はそれに次ぐ武官達の列伝なんですね」

コトタ「順序的に李典が6番目ってことですか」

なた「ええ。

   まあ徐晃伝に附伝してる朱霊(後に魏の功臣20名に選ばれている将軍)がいるので、

   7番目として見るべきかもですが、それでも曹操親族系を除けば神7の1人だったと言えるのです」

コトタ「神7……」

なた「さて先程少し名前の出た李乾ですが、

   彼はとても勇猛で旗揚げしてすぐの曹操に仕え、

   黄巾族討伐や徐州攻めで活躍しました」

コトタ「李典が生え抜きってわけではないのですね」

なた「まあ李家軍を率いていなかっただけで、李典もいたとは思いますがね。

   そんな李乾は呂布の部下に殺されています。

   そして後を継いだのが」

コトタ「李典ですね!」

なた「いえ、李整です。

   李乾の息子でして、呂布の部下も父の仇というわけでしっかり打ち破っています。

   その後も功績を挙げて青州刺史にまでなったのですが、亡くなっています」

コトタ「やけにあっさり……」

なた「そこで後継をどうするか、となっていたときに曹操が目を付けたのが」

コトタ「李典ですね!」

なた「はい。

   一族の年少者ですので、恐らく李典本人も選ばれるとは思っていなかったでしょう。

   しかし李典は"若い頃から学問好き"と記述があり、

   そこを曹操が気に入って李家軍を率いさせることにしたのです」

コトタ「ふむふむ」

なた「李典と李家軍は官渡決戦では輜重部隊として従軍しました」

コトタ「初陣は槍働きではなく後方支援だった、と」

なた「戦後、李典は裨将軍に任じられているので、

   曹操に評価された、ということでしょう」

コトタ「ですね」

なた「学問好き、初陣が輜重部隊ってとこから知略型武官と思われるでしょうけど」

コトタ「違うんですか?」

なた「官渡の後、袁家残党征伐がありましたよね。

   その時、李典は命令に従い水路を使って兵糧輸送中でした。

   それに対し、袁尚(袁紹の三男)は高蕃という武将に黄河を封鎖させていたのです。

   李典は"利益があるなら専断も許される!討つぞ!"

   と想定では自軍の倍以上の高蕃率いる軍を打ち破って水路を確保しています」

コトタ「しっかり槍働きもできるんですね」

なた「さて李典一番の活躍は合肥防衛戦ですね」

コトタ「普段から張遼と仲が悪かったんでしたっけ」

なた「その為、張遼は李典が自分の言うことを聞くか不安だったようです。

   李典はそんな張遼に対して怒りながら

   "お前のことは嫌いだが、これは国家の一大事だぞ。

    私的な話で公的な道義を忘れはせん!"と言い放っています」

コトタ「何で張遼のこと嫌いだったのでしょう」

なた「うーん、記述はないのですが、

   張遼は呂布の部下(李乾を殺したのは別人)だったので、

   そこが理由じゃないですかね」

コトタ「納得いく理由ですね……」

なた「でも張遼や楽進と連携して孫権を敗走させてますからね。

   本人の宣言通り公私の分別はついていました」

コトタ「魏軍はそういうとこが厳格ですものね」

なた「ですね。

   悲しいことに李典は合肥防衛の後に36歳の若さで亡くなっています」

コトタ「若い……」

なた「ちなみに周瑜、龐統、郭嘉も36歳で亡くなってるんですよね」

コトタ「惜しい人物ばかり……」

なた「李典がもし生きていれば曹休や満寵の副官として、

   さらに活躍していたと思うんですよね」

コトタ「それよりも張遼の後継者として、

    李典が東方司令官になっていた可能性があるのでは?」

なた「ああ、それはないでしょうね」

コトタ「えっ」

なた「李典は武将や部将で、どっちかというと副官ポジションなんですよ。

   複数の将軍を束ねる司令官としての功績は一切ないんです。

   また"諸将と功績を競うことはなかった"と記述がある為、

   自身の気質的に上への野心もなかったのでしょう」

コトタ「ふむ」

なた「では本日はここまで!」

コトタ「それでは次回の教えて!三国志で会いましょうー!」

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