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コトタさんの教えて!三国志 無双武将編 第35回 魯粛

基本データ

名前 魯粛(子敬)

生没 172〜217

出身 徐州臨淮郡

正史 54巻 周瑜魯粛呂蒙伝

親類 魯淑(子)

 

なた「今回は魯粛ですが、

   コトタさんは魯粛に対してどんなイメージがありますか?」

コトタ「魯粛さんは……うーん?

    周瑜〜陸遜の都督リレーに入っているけど目立たない人ってとこでしょうか。

    あまり印象深くはないですね。

    あえて言うならお人好しのおじさん?」

なた「想像通りの返事でした。

   仰る通り周瑜〜陸遜の都督リレーの2番手が魯粛です。

   無双7にしてやっとプレイアブルになったのもあり、

   他3人と比べても微妙なイメージがついているとは思います」

コトタ「ですね」

なた「魯粛は所謂お金持ちのおうちの生まれでした。

   そしてコトタさんの言う通りお人好しってとこは事実で、

   正史にも"施し好き"と記述がありまして」

コトタ「施し好き……」

なた「お金持ちなのでお金はもちろんですが土地やらもいっぱい持ってたんですね。

   それをいっぱい地元の民衆にばらまいてたのです」

コトタ「なんでまたそんなことを?」

なた「戦乱の世の中だからですよ」

コトタ「民衆は困窮していたのでしたね」

なた「周瑜が魯粛のいるとこの近くの県長として赴任した際、

   わざわざ数百人を連れて魯粛に挨拶にいっています。

   その時に軍資の提供を求めたのですが、魯粛は所有する米蔵の半分を与えています」

コトタ「半分も!?」

なた「周瑜は魯粛が大人物だと思い交流を深めたといいます。

   その後袁術によって魯粛は県長に推挙されますが、

   "袁術とは一緒にやっていけない"と思ったので、周瑜の元に身を寄せています」

コトタ「それで呉に仕えたってことなんですね」

なた「ええ。

   孫策にも会ってまして"魯粛は立派だ"とコメントしたりしてます」

コトタ「コメントって……」

なた「魯粛は一度北方、つまり中原の地に行こう(曹操に仕えよう)としたことがありますが、

   周瑜がそれを止めています。

   "君主が臣下を選ぶだけじゃなくて、臣下も君主を選ぶ時代だって言葉があるじゃないですかー?

    それでー、うちの君主(孫権)は賢者を探しているんですよねー。

    聞くところによると劉氏(後漢)の次は東南の地で興るって言うしー。

    私が思うにそれはうちの君主のことなんですよー!

    占いとか見ると色々合致してるっていうんだからびっくりですよねー!

    だから北方へ行くなんて言わずに一緒に孫家の帝業を補佐しましょー?"って感じで」

コトタ「周瑜さん何でそんな軽いんですか……」

なた「魯粛は周瑜の言葉を飲み、そのまま呉に残っています。

   周瑜は孫権に対して"魯粛はあなたを補佐する完璧な人材なんですよー!"と推挙しました」

コトタ「周瑜がべた褒めする人材ってことですね」

なた「そうですね。かなり重要なポイントです。

   孫権と魯粛は最初の会話でこんな話をしています。

   "なぁ、今後漢はやべえ状態だけど、親父(孫堅)や兄貴(孫策)の遺志を継いで、

    なんとか国を助けたいと思ってんだ。ありがてぇことに俺には魯粛がいる。

    どんな風に俺を助けてくれるんだい?"と問います」

コトタ「孫権も話し方雑ですね……」

なた「すると魯粛は

   "ご主君、後漢の復興も曹操を倒すのも今の状態だとまず無理です。

    今は北方はとても大変な状況ですので、

    その間にまずは黄祖を倒し、劉表を征伐し、長江より南を支配するのです。

    そして帝王を名乗り、天下を統一するのです"と答えました」

コトタ「天下二分の計……?」

なた「ですね。それに近いことを話しています。

   その後、孫呉のマスタープランは劉備勢力という誤算があった為、

   天下三分の計へとシフトチェンジしていますが、

   それが成立できたのも魯粛のおかげでした」

コトタ「孔明ではなく?」

なた「諸葛亮は考えただけですね。

   考えただけなら甘寧も天下二分を話していますし。

   魯粛が孫権と劉備の間を取り持って同盟を維持していたからこその天下三分なんですよ。

   この頃は諸葛亮は発言権なんてほとんどない後方主任程度の存在です(地位が上がるのは劉備死後)。

   それに比べて魯粛は孫呉という(中原に比べれば小勢力ではあるが)大きな勢力の戦略担当トップですからね。

   この頃の中国大陸の情勢を左右できた存在という意味では魯粛しかいません。

   曹操ですらこの瞬間は魯粛の動き次第だったとも言えます。

   その証拠に、魯粛の提言によって孫権は劉備に荊州を貸し与えましたが、

   その報を聞いた曹操は手紙を書いていたのですが、驚いて筆を落としたと正史本文に記述があります」

コトタ「規模が大きいですね……」

なた「そんな魯粛が過小評価されてしまうのは、

   曹操を破った周瑜、関羽を破った呂蒙、劉備を破った陸遜

   と比べてしまうからってのはあるかもしれません。

   だが忘れてはいけないことがあります。

   その周瑜が認めて推挙した人材であるということと、

   周瑜自身が後任として指名しているということです」

コトタ「確かに、それだけでも十分ですよね。

    ただの金持ちのお人好しおじさんなら周瑜は指名しませんし」

なた「ええ。

   何より魯粛は結構粗忽な人間だったとされ、

   張昭ら他の臣下に非難されることも多かったのです。

   それでも孫権は基本魯粛の意見を尊重し、採用していました」

コトタ「なるほど。

    若い頃の孫権は賢明だったんですね……」

なた「ですね。

   魯粛については単刀赴会のエピソードも面白いのですが、

   長くなるので今回はここら辺で」

コトタ「えーーー!気になります!!!」

なた「是非ググってください。

   正史だと"魯粛すごい"っていうお話ですので」

コトタ「残念……。

    それでは次回の教えて!三国志をお楽しみに!」

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