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コトタさんの教えて!三国志 無双武将編 第25回 関羽

基本データ

名前 関羽(雲長)

生没 ?〜219

出身 司隷河東郡

正史 36巻 関張馬黄趙伝

親類 関平(長男)、関興(次男)

 

なた「もうこの人については

   コトタさんの教えて!三国志 第5回で少し前に語ってしまってるんですよね!」

コトタ「そう言えばそうでしたね」

なた「ただその記事の最後に"他にも関羽の性格に纏わるお話"ってのに触れてるんですね」

コトタ「あ、確かに」

なた「なので今回はそこらへんを!」

コトタ「うまく伏線回収しましたね」

なた「ええ!今思いついたので伏線でもないんですがね!」

コトタ「わぁ、素直」

なた「えーとまず関羽の性質面としては、忠義の士として有名というか、

   それが元となって関羽は死後に神にまで上り詰めています」

コトタ「ですね」

なた「しかし性格面だと、

   弟の張飛同様にその性格から身を滅ぼしています」

コトタ「張飛は目下に厳しく、目上に媚びを売る性格でしたっけ?」

なた「ええ。

   関羽は逆に目下に優しく、目上(劉備以外、同格以上)のことは見下していたと言われています」

コトタ「張飛は部下に殺され、関羽は同僚に裏切られて結果敗死でしたか……」

なた「ですね。

   傲慢、つまり自信過剰だったってこともしっかり記述されています。

   曹操の元にいた時も義を果たし、劉備には忠を尽くしたのがあり、

   性質面では最良の忠義の士ではあるのです。

   でもやっぱり性格面ではどうしても微妙な評価をもらってしまっています」

コトタ「性格はどうあれ裏切った同僚達が悪いと思いませんか?

    糜芳も士仁も同僚というか立場上は部下みたいなものですよね」

なた「その通りではあるんですがね。

   救援を出さなかった孟達、劉封は置いといても   

   降伏した士仁、糜芳、潘濬は皆、平時から関羽と仲良しではなかったんです。

   つまり劉備軍自体が公私ぐちゃぐちゃだったんですよ……」

コトタ「あっ……」

なた「曹操軍だと張遼、楽進、李典が私事を気にせず団結したり、

   それこそ演義でも徐晃が関羽に対して"公私は別だ!"と言い切っています」

コトタ「関羽も公私ぐちゃぐちゃタイプだったのでしょうか……?」

なた「徐晃のエピソードは演義なので史実とは違いますがね。

   子供同士の縁談で孫権を怒らせた話(江南人を見下す発言)や、

   四方将軍位拝領の際の黄忠への態度(あんな老いぼれと一緒にするな発言)ってのを考えると、

   公私を分けれなかったワガママタイプだったんでしょう」

コトタ「自信過剰な発言と態度が災いして、周りとの亀裂を産み、

    公私ぐちゃぐちゃな劉備軍だったから一気に爆発してしまい、

    関羽は死んでしまったってことですね」

なた「総合するとそうなります。

   もしこれが曹操軍での話であれば、関羽は死ななかったでしょうしね。

   そもそも曹操なら荊州を関羽に任せなかったでしょうし……」

コトタ「あー……全敗将軍ですものね……」

なた「関羽は私が三国志を好きになったきっかけでもある人物ですので、

   とっても好きなんですよね。前も話した気がしますけど。

   でも前回の孫策同様に"好きだからこそ正当な評価"というのが重要だと思ってますので」

コトタ「結果ボロクソなんですね……」

なた「いずれにせよ、ソースがなく感情に任せて好きだ嫌いだと

   批判しているわけではないので許してください!!!!」

コトタ「公私はしっかりしてましたね!

    では次回をお楽しみに!!」

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